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災害派遣……息子との会話より [家族や友人の話題]

我が家の長男は昨年4月1日に陸上自衛隊の曹候補生として採用され、6ヵ月にわたる教育課程を修了し、10月からヒヨッコ自衛官として大宮駐屯地にある東部方面隊第1師団第32普通科連隊に配属されました。
 
まもなく1年が経過するという矢先、3月11日の大震災が発生し即時災害派遣(以下「災派」)となり、息子は先発隊として12日未明に茨城県北部へと出発しました。
 
先日、交替での帰隊をした時に一緒に食事をしました。その時にいろいろ聞いた話の中から、少し書きたいと思います。
 

 



 

彼らは先発隊ということで「捜索・救難」装備で出発、まずは茨城県中部の勝田駐屯地へ進出し、そこをベースとすることになりました。
 
各中隊ごとに(5個中隊あります)担当区域を分け、息子の中隊は高萩市周辺が担当となりました。高萩市は人的被害はほとんど無かったそうですが、断水・停電で給水活動が主な任務となりました。
 
息子は某拠点病院に対する給水任務などとなり、透析治療用に大量に必要な水を運ぶ任務となりましたが、捜索・救難装備なのでポンプなど無く、人力でポリタンクに入れた水を運ぶ作業になったそうです。
重いポリタンク(10リットル)を何度も運び、停電なのでエレベーターも動かないので上の階へも階段で運ぶという過酷な作業だったそうです。
 
また上の階に入院している患者さんを1階の診察室などに連れて行くのも、おぶったり車椅子や担架で移動させたりと、力仕事の毎日だったそうです。ある時は亡くなった(病気で)ご遺体も運んだとか。
 
ようやく数日経ってからポンプ機材が到着し、人力で水を運ぶことも無くなったそうです。
 
13日から17日まで高萩市の病院などで作業し17日夜に交替要員と入れ替わりで大宮へ帰隊。基地業務(警衛とか)を約1週間する予定でしたが、諸事情で21日より再び高萩市へと災派となりました。
20日には外出となりボーイスカウトの募金にも来てくれました。


 
【災派でのエピソード】
 
1回目の災派でベースキャンプの勝田駐屯地から高萩市へ高機動車で向かっていた時、海岸線に人らしき形のものを発見、一番下っ端の息子とバディが偵察を命じられ海岸へと行ってみたら、お婆さんだったそうです。損傷が激しく急いでその地区担当の中隊へ連絡し、警察にも通報。しかし警察の事情聴取は細かい事までしつこく聞いてきて、まるで彼らが何かしたような質問の仕方だったらしく、とうとう班長が怒り爆発したそうです。この時の報告は「行方不明者発見」といい、「遺体発見」とは言わないそうです。あきらかに亡くなっていると見えても、それは自衛官は判断できない事なのだとか。
 
怒っていたのは医師たちの態度。一生懸命に患者さんを運んでいる横で、医師たちがコーヒー飲んで談笑していたそうです。もちろん医師だってコーヒー飲んで一休みするのは結構です。しかし他の人から見えない場所でしてほしいと言っていました。患者さんからだって見えるのだから。
また節水についても怒っていました。最初の頃はかなり水が足りず節水していたのですが、本格的に給水支援が始まったら節水などせず、自衛隊が補給してくれるからと、バンバン使い始めたとの事です。まぁ人間だから有れば使いたくなる気持はわかるのですが、それは断水が解消してからにしてもらいたいものです。重いスイカンを担ぎ上げて運んでいるのは自衛官なのだから。
 
1回目の災派の後、現地では冷たい缶飯ばかりだったのでバディと2人で焼肉を食べに行ったのだそうです。メニューのある頁の上から下まで1列を全て注文するというなんとも派手な食べ方をしたとか。壷ホルモンを焼こうとしたらバディの顔色がみるみる青くなり、「ダメだ、もう食べられない」と。もちろん息子が全て食べたそうですが、バディは満腹になったのではなくて、海岸で発見したお婆さんの姿を思い出してしまったらしいです。
 
2回目の災派も高萩市となりましたが、病院の他にも民家への給水任務などおこなったそうです。ある独居老人の家に水を運んだ時のこと。家の1階はメチャクチャになっていて、1人暮らしのお婆さんは2階で生活していたそうです。寝たきりという程ではないけどあまり動けない様子なので、ポリタンクに水を汲んで2階まで何往復かして運び上げたそうです。そうしたら「このご恩は一生忘れません、ありがとうございます。」と手を合わせて言われたとか。19歳の息子にも感じるものがあったそうです。
 
 
他にもいくつか聞いた事はあるのですが、ちょっとここでは書けない事なので自重します。
 
 
多くの自衛官が被災地で必死に頑張っています。
息子は震災の直前に訓練中に腰を痛めていました。医務室に行ったら自衛隊中央病院でCTを撮ってもらうように言われたそうです。しかし病院に行く直前に震災がおこり、今はコルセットを装着して痛みをこらえて任務遂行しています。「オマエ、腰は長引くから早く病院に行った方がイイよ」と言ったのですが、「こんな時にそんな事は言っていられない。みんな頑張っている。多少痛くても必要としている人がいるのだから。災派が一段落したら診察受けるよ」と。親としては心配だけど仕方ないです。上官も腰を痛めている事は知っていて、1回目の災派も他の人よりひと足早く、家族が被災した隊員と一緒に帰隊したそうです。また2回目も行くかどうか打診があり、無理はするなと言われたそうです。
 
31日から3回目の災派となるそうです。高萩市での活動は終了し、次にどこへ行くのかは判らないと。妻は「原発近くだったらどうしよう」と心配していますが、まぁもしもそうであっても任務ですから仕方ないです。誰かがやらねばならないのですから。屋外での活動時は放射線量バッチ?を装着していて、しっかり管理されているそうですし、万一の場合に備えて防護衣なども準備しているそうです。
 
 
ここに書いた事は息子との食事中に聞いた事なので、私の聞き違いや記憶違い、息子の思い違いなどもあるかもしれません。その部分はご容赦ください。


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コメント 9

あおたけ

災害派遣と言うと、直接的な人命救助がクローズアップされますが、
そればかりではない、言い方が悪いですが裏方的な現場目線での
エピソードですね。
本当に大変なお仕事だとは思いますが、鍛えられた隊員の方々だからこそ
できる重要任務だと思います。若い隊員の方々は体力はもとより、
精神的にも大変でしょうが、くれぐれも体には気をつけて
任務を遂行されるように、応援しています。。


by あおたけ (2011-03-29 19:43) 

おすぷれい26

>あんぱんち~ さん

ナイスをありがとうございます。
by おすぷれい26 (2011-03-29 19:48) 

おすぷれい26

>あおたけさん

コメントありがとうございます。少しでも彼らの事を知って貰えたらと思って書きました。息子が頑張っているのに、私は「こんどは何処へ撮りに行こうかな」などと考えていたりして、ちょっと気が引けています。
by おすぷれい26 (2011-03-29 19:49) 

yatoho

今回の自衛隊の皆さんの働きには本当に頭が下がる重いです。
ご子息も大変でしょうががんばっていただけたらと思います。

by yatoho (2011-03-30 09:48) 

おすぷれい26

>yatohoさん

ありがとうございます。私は帰宅した時に旨いものをご馳走するくらいしか出来ません。
by おすぷれい26 (2011-03-30 10:14) 

yosi

息子さん、お仕事ご苦労様です。
一番きつい時の派遣だったようですね。
文字で書く以上に過酷な現場を体験されたと思います。
息子さんの労をねぎらってあげてください。
by yosi (2011-03-30 13:11) 

おすぷれい26

>yosiさん

ありがとうございます。戻ってきた時にはたっぷり美味しいものを食べさせます。
by おすぷれい26 (2011-03-30 13:18) 

syttj

うちの息子も第32普通科連隊に居りますので、同じ状況かと思います。
全く戻ってこないので状況が全く分かりませんでした。
本人からは元気にしているというメールのみでした。
私もこの地震を岩手県に出張中に被災し、避難所生活まで体験し、やっとの思いで帰京しました。内陸でしたので地震だけでしたが、被災を目の当たりにしてきました。
特に弱者(老人子供)には助けが必要です。
息子たちの活動に期待しております。

by syttj (2011-04-04 13:09) 

おすぷれい26

>syttjさん

おや、びっくりです。ご子息はもしかしてウチの息子の先輩か上司では…。
by おすぷれい26 (2011-04-04 23:18) 

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